『信仰のあゆみ』
1566(永禄9)年、イエズス会修道士ルイス・デ・アルメイダとロレンソ了斎によって
五島にキリスト教の宣教が開始された。
翌1567年、ジョバンニ・B・モンテ神父より受洗した領主宇久純定の次男純尭が、1567(天正4)年に19代領主となってから、
五島はキリシタンの最盛期を迎える。
しかしながら、1587(天正15)年、秀吉のバテレン追放令に続く徳川幕府の厳しい弾圧によって、
教会共同体は姿を消したと言われるが定かでない。
現在の五島カトリック信者は、その大半が1797(寛政9)年、信仰の自由を求めて移民した大村藩農民の子孫である。
1888(明治21)年9月、旧堂崎小教区第2代主任司祭として着任したアルベール・ペルー神父は、
1896(明治29)年頃から下五島地区の司牧宣教の拠点として、郡長の所在地で城下の福江に、教会を建立することを願い、
18年の歳月を経た1913(大正2)年に郡立五島病院の建物と土地を取得した。
建物は教会堂兼司祭館として改造され、翌1914(大正3)年4月、「イエズスの聖心教会」としてジャン・C・コンパス司教によって
祝別献堂された。同時に旧堂崎小教区から独立して福江小教区が設立された。
現在の教会堂は、戦後の混乱の中に14年の歳月を経て、1962(昭和37)年4月、主任司祭松下佐吉神父により建立、
山口愛次郎大司教によって祝別献堂された。
同年9月26日未明、市街地をなめつくした福江大火において、新教会も三方を火の海に囲まれたが、奇跡的に類焼をまぬがれた。
2014(平成26)年4月、福江教会は小教区設立百周年を迎えた。
これを記念し、ここに、今日の福江教会の礎を築き、長い間教会を支え守って来た先祖たちの信仰を受け継ぎ、伝えることを誓い、
その証として、信仰のあゆみの碑を建立するものである。
[現地案内より転記]
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