原爆ドーム 

原爆ドーム
広島県広島市に投下された、原子爆弾の惨状を伝える被爆建造物です。
1945(昭和20)年8月6日、人類史上初めての核兵器・原子爆弾がここ広島に投下されました。 原子爆弾は、現在の原爆ドームの南東約160メートル、高度約600メートルの位置で炸裂し、 爆心地から2km以内の建物をほとんどすべて破壊し、焼き尽くしました。 そして同年末までに約14万人の尊い命が失われました。

この原爆ドームがその姿を留めているのは、建物のほぼ真上で原爆がさく裂し、 衝撃波を受けた方向がほぼ真上からであったこと、 窓が多かったことにより、爆風が窓から吹き抜けたこと、 ドーム部分の屋根が銅板であったため、爆風到達前の熱線により屋根が融解し、爆風が通過しやすくなったことが挙げられます。
1996年には、「Hiroshima Peace Memorial(広島平和記念碑)」として、 ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 ▲ 平和記念公園から見た原爆ドーム


 ▲ 平和記念公園の桜越しに見る原爆ドーム
▽以下、現地案内板より転記▽
原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの統計により、 1915(大正4)年4月に広島県物産陳列館として完工し、特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていました。
館は、県物産の展示・即売・商工業に関する調査・相談などを業務としていましたが、 美術展や博覧会など文化事業にも利用されました。
その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、業務の拡大が図られていきましたが、 戦争の長期化・激化とともに業務が縮小され、内務省中国四国土木出張所、 広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用されました。

1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機が、人類史上最初の原子爆弾を投下しました。 原爆は、広島県産業奨励館の南東約160メートル地点の上空約600メートルでさく裂し、 建物は大破・全焼、館内にいた全員が即死しました。
しかし、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、建物の壁の一部は倒壊を免れ、 原爆ドームと呼ばれるようになりました。
▽右上の説明の続き▽
原爆ドームについては、当初、記念館として残すという考えと、 危険建造物であり被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すという二つの考え方がありました。
しかし、市街地が復興し、被爆建物が姿を消していく中で、保存を求める声は次第に高まりを見せ、 1966(昭和41)年、広島市議会が原爆ドームの保存を決議しました。
これを踏まえて、保存工事のための募金運動が行われ、国の内外の平和を願う多くの人々の寄金により 1967(昭和42)年、第1回目の保存工事が行われました。
その後も、数回の保存工事が行われ、原爆ドームは被爆当時の姿を今に伝えています。

1996(平成8)年12月、原爆ドームは、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝える歴史の証人として、 また、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑として、 世界遺産に登録されました。
また、原爆ドーム周辺は文化財保護法による国の史跡に指定されるとともに、平和記念公園周辺を含む区域に 緩衝地帯(バッファーゾーン)が設定され、原爆ドームの保護が図られています。










 ▲ 現地案内板の写真より。広島商工会議所屋上から猿楽町通りを見下ろす。1945年10月撮影
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原爆ドーム DATA
住所広島県広島市中区大手町1-10
電話番号082-242-7831
見学時間終日開放
公式HP
備考
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