切支丹資料館 
切支丹資料館
「カクレキリシタンの里」と呼ばれる平戸島の根獅子(ねしこ)地区にあるこの資料館では、 根獅子の元信者の方々から寄託された貴重な品々や、再現された納戸神様を祀った納戸など、 カクレキリシタンの歴史ある信仰の品々が展示されています。

1550年にフランシスコ・ザビエルによって平戸にもたらされたキリスト教ですが、 特に生月島と根獅子地区では住民のほとんどがキリスト教信者になったと言われています。
しかし、1596年の豊臣秀吉による切支丹禁教令、1612年の江戸幕府による禁教令が出されます。
信仰を捨てれない信徒たちは、仏教を隠れ蓑にしながら秘密の集団組織を作り、自らの信仰を続けてきました。 これをカクレキリシタンと言います。

 ▲ 切支丹資料館

 ▲ 切支丹資料館
カクレキリシタンたちは、「マリア観音」を仏壇に置いたり、クルスを壁に塗り込んだりして、 弾圧の目を逃れる為に、暗い納戸に切支丹のご神体を秘蔵させ(納戸神さま)、ここで密かに礼拝を行いました。 この様な指導する宣教師のいない長い年月と、人々が固く口を閉ざし、秘密を守った年月により、 信者は正当なキリスト教信仰からかけ離れた全く独自の宗教を作り上げてしまいました。
ほんの近くの生月島と根獅子でさえも、異なった組織形態、礼拝行事、祈祷文(オラショ)を受け継いでいます。

切支丹資料館は、根獅子のキリシタンの聖地「ウシワキの森」に建てられています。 隠れキリシタンにより信仰の対象とされたマリア観音や納戸神のほか、かくれ切支丹祭具、 禁教を命ずる高札、踏絵等の資料が収蔵展示されています。

 ▲ 切支丹資料館

 ▲ 切支丹資料館

 ▲ 十字架と少年像

 ▲ 再現された納戸

 ▲ 御神体
page top 
 ウシワキの森 
ウシワキの森
「切支丹資料館」の裏手に広がる森を『ウシワキの森』と言います。
ウシワキの森は里の代表者であった「おろくにん様」一家が、藩の取り調べの末に殉教し、 その遺体を祀った聖地です。
また、キリシタン時代の墓地遺構が見つかった貴重な場所でもあります。

おろくにん様」とは・・・両親と娘3人の5人家族の家に、ある男が居候し、その男は長女の婿となりました。 ある日婿に、一家は自分たちはキリシタンだと打ち明けます。 次の日の朝には婿の姿はありませんでした。 男は一家がキリシタンだと密告したのです。 一家は根獅子の浜の小岩で処刑されました。1566年の事です。その岩が「昇天石」です。 「おろくにん様」は6人の意味があり、6人目は長女のお腹にいた赤ちゃんの事です。 6人の遺体は「うしわきの森」に手厚く葬られたと言われています。


 ▲ ウシワキの森

 ▲ ウシワキの森
[ ▼ 以下、現地案内板より ▼ ]

「根獅子(ねしこ)に伝えられているウシワキ様(おろくにん様)伝説」
16世紀に里人皆がキリシタンとなった根獅子でも弾圧の時代に厳しい取り調べを受けることになります。 特に里の代表者であった「おろくにん様」一家は、入り婿によって告発され厳しい取り調べの末に 浜辺の昇天石の上で殉教しました。 その遺体をまつったのがウシワキの森です。 おろくにん様は「キリシタンは私たち一家だけである」と里人をかばって昇天したといいます。 ウシワキの森は今も根獅子町の大切な場所としてまつられています。

「ウシワキのキリシタン墓地」
2008年(平成20年)に実施した発掘調査で、砂に埋もれていた3基のキリシタン墓地遺構がみつかりました。 いずれも直径20〜30cmの自然石を1〜2段積み上げたものでした。 そのうちの1基からは、木棺に埋葬されたと考えられる伸展葬(体をまっすぐにして寝た状態) 人骨もみつかっています。 また、ウシワキの森は、16世紀に書かれた宣教師の手紙にも書かれている重要な場所です。

 ▲ ウシワキの森 案内

 ▲ この先におろくにん様の祠がある

 ▲ おろくにん様の祠
page top 
切支丹資料館 DATA
住所長崎県平戸市大石脇町1502-1
電話番号
開館時間9:00〜17:00
入館料大人:200円、高校生:150円、小・中学生:70円
駐車場無料
公式HP
備考
近隣 SPOT 関連 LINK
BACK    HOME    PAGE TOP
last visited : 2019/04/11