1797(寛政9)年に始まった大村領民の五島移住政策に乗じて、仏教徒を装い、五島へ移住してきた
潜伏キリシタン達は、山野を拓き、貧困に耐え、密かに信仰を守り続けた。
1865(慶応元)年の浦上信徒発見を機に、島のキリシタン達は次々とカトリックの信仰を表明して、
囚われの身となり、過酷な迫害を受けることとなるが、耐えて信仰をつらぬきとおし、
「信仰の自由」の夜明けとともに島内各地に教会堂を建設した。
楠原天主堂は、宣教師の指導と資金援助のもと、信徒達の資金拠出と子供、
老人まで総力をあげての労働奉仕によって、1912(明治45)年に完成したものであり、
西欧の建築様式が施され、福江島内で
堂崎天主堂 とともに歴史を刻む教会堂である。
近くには、明治初期の迫害当時に、信徒達がとじ込められ、責苦をうけた牢屋跡が復元されている。
[現地案内より転記]