@ 万田坑ステーション
万田坑を訪れたときに、最初に立ち寄りたい施設です。
万田坑の有料ゾーンに入るためのチケットは、ここで購入します。
万田坑ステーションには、昭和14年頃の万田坑施設全体を復元した模型、万田坑の古写真などのパネル、
映像、万田第二竪坑櫓の部材など、万田坑に関する歴史を知ることができます。
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▲ 万田坑ステーション
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A 万田坑正門
万田坑の有料施設の入口が、万田坑正門です。
旧正門は、三井炭鉱全盛期の頃の正門で、現在の正門の数十メートル手前にありました。
旧正門の右手には、ここ(荒尾市)から福岡県大牟田市を結ぶ、約130mの「桜町トンネル」がありました。
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▲ ここは旧正門。この奥に、現在の正門がある
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B 山ノ神祭祀施設
山の神は、万田坑で働く人々の安全を願って神様をお祀りしていた場所です。
石炭の採掘には、坑道の崩落やガス爆発など、危険と隣り合わせでした。
万田坑で働く人々は、仕事の前に必ず山の神に完全をお願いし、坑道に入りました。
神様は、1916(大正5)年に愛媛県の大山祗(おおやまづみ)神社から分祠したものです。
また、炭鉱社宅にも山の神が祀られていました。
詳細はコチラのブログ記事から
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▲ 山の神
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C 倉庫及びポンプ室
1905(明治38)年に建設され、1906(明治39)年より1914(大正3)年まで、万田坑内の換気を行うための蒸気動力の扇風機室として使用されていました。
その後は、坑内から揚げられた水を灌漑用水用に送水するためのポンプ室として、また予備の消化器などを置くための倉庫としても使用されていました。
※ 訪問時は修理・耐震補強工事中でした。
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▲ 右側の工事中で覆屋が掛けられている建物が「倉庫及びポンプ室」
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D 安全燈室及び浴室(旧扇風機機械室)
1905(明治38)年頃の建設当初は、扇風機室の機械室として使用されていました。
1951(昭和26)年の万田坑閉坑に伴い、安全燈室と浴室として利用していました。
安全燈室には、暗闇の坑内で使用する安全燈(ヘルメットに付けるランプ)の充電機や、
地下で発生するガスの量を測る器具などが置いてありました。
閉坑後に作られた浴室では、浴槽が2つあり、坑内で汚れた体を洗っていました。
※ 訪問時は修理・耐震補強工事中でした。
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▲ 工事中で覆屋が掛けられている建物が「安全燈室及び浴室」
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E 第二竪坑櫓
万田坑には「第一竪坑」と「第二竪坑」があり、それぞれに櫓が建てられていましたが、現存しているのが、この「第二竪坑櫓」です。
1908(明治41)年に竣工しており、総鋼鉄製で高さが約18.8mあります。
閉山後に修復作業を行った際に、イギリスのグラスゴー・スチール社やドーマンロング社の鋼材が使用されている事が分かりました。
建設当時の日本では、鉄鋼技術が十分ではなかったため、イギリスから鋼材を輸入していたようです。
(日本の近代鉄鋼業は、官営八幡製鉄所の操業(1901年)が先駆け)
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▲ 第二竪坑櫓
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F 第二竪坑坑口
第二竪坑は、炭鉱マンの出入りと、排気・排水を目的としていました。
坑底までの深さは約264mあり、ケージと呼ばれるエレベーターのカゴに乗って約1分で昇降していました。
ケージは2台あり、つるべ方式で片方が上がると片方が下がる仕組みでした。
坑口には信号所があり、巻揚機室の運転手や坑底と鐘・ベル・電話で連絡を取り合っていました。
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▲ 第二竪坑坑口
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G 事務所(旧扇風機室)
1914(大正3)年に建設され、当初は坑内の喚起を行う電気を動力とした巨大な扇風機が備え付けられた扇風機室でした。
1951(昭和26)年の万田坑閉坑後から、1階を更衣室などに、2階を事務所と坑内の監視室として利用していました。
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▲ 事務所(旧扇風機室)
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H 職場
職人の作業場で、炭鉱で使用する機械などの修理や工具の工作などを行う場所でした。
職場の中は勿論、周囲にも当時のパイプや部品などが点在していました。
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▲ 職場
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I 第二竪坑巻揚機室
煉瓦造り二階建て、建築面積は207.09uの建物で、1909(明治42)年に竣工しました。
建物に入るとすぐに狭い階段があり、1階から2階に上がる途中には、坑道の土の引き上げなどに使用したジャックエンジンが、
中2階に重量物を昇降させるウインチが、2階に人員を昇降させるケージ巻揚機が格納されています。
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▲ 第二竪坑巻揚機室内部
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J 汽罐場跡
第二竪坑巻揚機室の前から、現存する2本の煙突の基礎部分辺りに、「汽罐場」がありました。
汽罐場とは、蒸気エネルギーを作るためのボイラー室です。
明治末期から大正末期にかけて、万田坑の動力の殆どは汽罐場で石炭を焚いて発生させた蒸気でした。
万田坑には多いときで3つのボイラーがありました。
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▲ 汽罐場跡
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K 第一竪坑
「第一竪坑」 は、1897年に開発をはじめ、1902(明治35)年に完成し、その年から万田坑での採炭が始まりました。
石炭を地上に引き上げる事と、坑内の換気、地下水の排水を主な目的とした坑口で、
坑口から地下までは約271mありました。
現在は竪坑櫓のコンクリートの台座部分と、坑口が残っているだけですが、
当時は高さ30.7mの第一竪坑櫓が建っていました。
第二竪坑櫓と比べると、高さは約1.5倍、幅は約2倍あり、ケージが4台吊るされていました。
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▲ 第一竪坑跡
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L 選炭場
選炭とは、石炭とボタを選別することです。
選炭場には選炭機2台が備え付けられ、大きさや質ごとに分けていました。
選別された石炭は選炭場の下にある炭鉱専用鉄道の貨車に積み込まれ、九州鉄道万田駅(現在の荒尾駅)や三池港から国内外へと運ばれていました。
現在の選炭場には当時の遺構は何も残っていませんでしたが、
世界遺産登録8年記念に公開された「炭鉱電車」が飾られていました。
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▲ 炭鉱電車
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M 桜町トンネル
「桜町トンネル」 は、1933(昭和8)年に建設された、熊本県荒尾市と福岡県大牟田市を結ぶ生活通路(地下通路)です。
構内の地下を東西方向に走り、壁は切石で積まれ、入口は幅2.7m、高さ2.4m、全長130mありました。
天井はコンクリートで覆われ、一部に明り取りが設けてあります。
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▲ 桜町トンネル入り口
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N 煙突
現存している2本の 「煙突跡」 は、大正時代に建てられたコンクリート製煙突の土台部分です。
これらの煙突は、汽罐場で発生した煙を排出するための物で、
万田坑には、多い時で3ヵ所の汽罐場に5基の煙突がありました。
1898(明治31)年に赤煉瓦約31万枚で建てられた一番大きな煙突は、高さ約49mあり、「赤煙突」と呼ばれる万田坑のシンボル的存在でした。
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▲ 現存する2本の煙突の基礎
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O 沈殿池
「沈殿池」は、坑内から排水された水を一時的に溜めて、混ざっている石炭の粉などの不純物を沈殿させるための池でした。
池に設けられた排水溝から上水を河川に流す仕組みになっていました。
池の面積は約3,600uで、護岸は空石積み(一部分は石積みなし)です。
万田坑ステーションの裏側にあり、訪問時は草が生い茂って池の様には見えませんでしたが、
煙突側から見ると、水面が見えました。
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▲ 万田坑ステーション付近から見た沈殿池
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