黒神の埋没鳥居 
桜島 の東部に位置している黒神町には、大正3年の大噴火の猛威を伝える遺物が2つ残されています。 「腹五社(はらごしゃ)神社の埋没鳥居」と「埋没門柱」です。 ふたつは約200m程離れた県道26号沿いにあります。

1914年(大正3)1月12日、まず西桜島赤水上が黒煙を突き上げ、 10分後には東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発しました。 黒煙は上空7000mに達し、全島を覆い尽くしました。 翌13日には溶岩の流出が始まり、30億トンの火の波が瀬戸海峡を横断、 桜島と大隅半島を陸続きにしてしまいました。
この大爆発により、黒神では全戸687戸が火山灰に埋没してしまいました。

  ▲ ジオを体感できる黒神校区

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黒神の埋没鳥居
腹五社(はらごしゃ)神社は鹿児島市立黒神中学校の横にあります。 大正の大噴火により、高さ3mの鳥居も辛うじて笠木だけ見えている状態で火山灰に埋もれてしまいました。 住民は掘り起こそうとしましたが、時の村長・野添八百蔵は、 爆発の猛威を後世に伝える為、発掘を中止させ、そのままの形を留めることにしました。

現在、埋没鳥居の右側には「黒神げんき塾」があり、 隣の黒神中学校の生徒たちが黒神ならではの情報を展示しています。
県道を挟んで正面に駐車場があり、無人販売所で椿油が販売されていました。

  ▲ 駐車場から。黒神中学校と埋没鳥居

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  ▲ 黒神げんき塾

  ▲ 椿油の無人販売所
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 黒神の埋没門柱 
黒神の埋没門柱
この門柱はもともと地上2.5mの高さがありましたが、大正3年の大爆発で噴出した大量の火山灰や軽石、 溶岩によって埋没してしまいました。 家屋は熱い溶岩で全焼しました。
火山灰の積もった地面を良く見ると、門柱の頭の部分だけが見えています。

  ▲ 埋没門柱
 
  ▲ 爆発直後の写真。現地案内板より     
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 有村地区の昭和溶岩 
大隅半島から桜島へ渡り、桜島口から埋没鳥居の残る黒神地区へ向かっていると、 小規模な溶岩展望所がありました。 この辺りは昭和溶岩が残る所です。

「音もなくじわじわ低地へ低地へと忍び寄るゾル状の黒い物体が、 日々道路、畑、果樹園、松林などを侵食し、埋め尽くしていきます。 住民は、そのうち自分たちの地区まで埋められてしまうことを予知し、 総動員で移転避難準備にとりかかりました。 家の解体移転・財産運搬、宅地の造成、食料の確保などそれは大騒ぎでした。」
1946年(昭和21)3月、桜島の黒神、有村地区での出来事です。 この時の爆発の規模はあまり大きくなかったのですが、 溶岩の流出量は意外に多く、黒神地区では海上2000m、有村地区では1000mまでにも達しました。
住民の予想どおり溶岩は地区内に流れ込み、各宅地をなめるようにして、広大な有村の砂浜になだれ込みました。
溶岩の流出は5月25日頃まで続き、黒神地区は全滅、有村地区はその大半を失いました。
古老達も若者も、子供達もただただ消えゆく長く住みなれた故郷を、浜辺を、唖然と見守るばかりでした。
[現地案内板より転記]

  ▲ 県道26号沿いに発見

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黒神の埋没鳥居 DATA
住所鹿児島県鹿児島市黒神町 腹五社神社
電話番号
時間
料金
駐車場あり
公式HP
備考

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last visited : 2013/03/20