武雄温泉 
武雄温泉
武雄温泉は1300年も前に書かれた「肥前風土記」の中に 「郡の西の方に温泉の出る巌(いわや)あり、・・・」と記された歴史ある温泉です。
古くは神功皇后も入浴されたと伝えられ、江戸時代には長崎街道の宿場町として栄え、 宮本武蔵、シーボルト、伊達政宗、伊能忠敬などが入浴した記録も残されています。

そんな武雄温泉のシンボルと言えば、『武雄温泉 楼門』。 竜宮城を彷彿とさせる、朱塗りの楼門です。
天平式楼門と呼ばれ、釘を一本も使っていない独創的な建築物です。
この武雄温泉の楼門と、現在は資料館となっている『武雄温泉 新館』は、国指定重要文化財に指定されています。

 ▲ 国指定重要文化財である楼門

 ▲ 国指定重要文化財である楼門

 ▲ 国指定重要文化財である新館

 ▲ 新館1階には武雄温泉の歴史パネルがある

 ▲ 国指定重要文化財『武雄温泉 新館』
『武雄温泉楼門』と『武雄温泉新館』は、赤レンガの東京駅を設計した佐賀県唐津市出身の辰野金吾氏が統計したものです。 大正4年(1915年)に建てられました。
ともに辰野・葛西事務所の設計、清水満之助の施工で、新館は大正3年8月6日、楼門は同年11月20日に上棟、 大正4年4月12日に落成式が挙行されました。

楼門から中に入ると、現在も営業をしている複数の公衆浴場があります。

ひときわ大きな朱色の建物が、かつての大衆浴場で、現在は資料館として使われている『武雄温泉新館』です。
国重要文化財 建造物  武雄温泉新館及び楼門 二棟
武雄温泉の新館と楼門は、武雄温泉組(現在の武雄温泉株式会社)が、辰野・葛西建築事務所に統計を、 清水組(現在の清水建設)に施工を委託し、大正三年(1914)に着工、翌4年に竣工しました。 辰野金吾は唐津出身で、明治から大正期にかけての我が国の建築界における第一人者として知られています。

この新館と楼門は、辰野の晩年の大作と言われる東京駅と同期の作品ですが、現存する中で数少ない木造建築であり、 辰野の設計になる佐賀県内唯一の建築物です。また、正面に竜宮門をおく配置計画、複数の浴室と休憩室を 一体化した施設計画など、保養施設の歴史を知る上でも重要なことから、国の指定を受けました。

◎新館 木造入母屋造桟瓦葺 二階建
    桁行正面十四間、梁間三間
    一階 男女大浴場各二室・上場湯各三室

◎楼門 二回 和室五部屋
    桁行 六、八m 梁間四、九m
    高さ 十二、五m
    屋根 入母屋造・本瓦葺
    下層 白色漆塗り大壁

 ▲ 武雄温泉新館の男性用大浴場「五銭湯」

 ▲ 「十銭湯」浴槽床に当時のマジョリカタイル

 ▲ 新館の女性用大浴場「五銭湯」

 ▲ 3室ある貸切湯「上々湯」

 ▲ 新館の二階の和室

 ▲ 新館の二階の和室



 ▲ 楼門をくぐるとすぐ、現在の公衆浴場「元湯」と「蓬莱湯」の入口
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武雄温泉 DATA
住所佐賀県武雄市武雄町大字武雄7425
電話番号0954-23-2001
駐車場あり。無料
公式HP
備考
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