多久聖廟 
多久聖廟
佐賀県多久市にある、 儒学の祖で学問の神様ともいえる孔子を祀る孔子廟です。 多久家の四代領主多久茂文(たくしげふみ)が孔子像、四配(しはい)(顔子、曽子、子思子、孟子)を祀る廟として建てたもので、 宝永5年(1708年)の竣工です。
建築様式は、禅宗様仏堂形式と日本の代表的もので、彫刻や文様で中国的な雰囲気を出しています。 中国の故事に習って、北に山を負い、南に仰高門(ぎょうこうもん)をかまえ、門の前には池をつくっています。
昭和8年には当時の国宝に指定され、昭和25年に国の重要文化財に指定されました。
春と秋には聖廟釈菜(せいびょうせきさい)が催され、釈菜終了後、廟内の一般拝観ができます。

多久聖廟周辺は公園化されていて、 東原庠舎、聖廟展示館、孔子石像、多久茂文像、物産館などがあります。


学問の神と称えられる中国春秋時代の孔子を祀ったところです。
宝永五年(1708)多久家四代領主多久茂文が文運教化をはかるために建てました。
祀られている孔子像は青銅で、京都の儒学者中村タ斎の指導のもとに鋳造され、傍らに四哲といわれる 四人の弟子、顔子、曽子、子思子、孟子も祀ってあります。
創建に当たっては、佐賀藩の儒学者武富咸亮を相談役とし、多久安成(家老)、 河浪自安(東原庠舎教授)、鶴田省庵ら多久領内の多くの人々が力をつくしました。
中国建築様式をとり入れようと努力した跡が、多く残っています。
創建以来続いている春秋二回の釈菜(せきさい)は、祭官が深衣(しんい)という中国の儒者の服を着て、 今でも中国式に行われています。
建物は昭和25年8月29日、国の重要文化財に指定、昭和32年6月18日聖龕(厨子)も追加指定されました。
【現地案内より転記】



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 ▲ 多久家四代領主多久茂文像

 ▲ 駐車場横にある物産館「朋来庵」

 ▲ 孔子石像

 ▲ 聖廟展示館

東原庠舎(とうげんしょうしゃ)
東原庠舎は、多久第四代邑主 多久茂文が建てた学問所です。東原は地名で、庠舎は学校を意味します。
茂文は元禄5年(1692)、佐賀藩主鍋島綱茂から学問所の額を下府され、佐賀の儒学者川浪自安を教授として 多久に招聘し、学問所の基礎を築き、次第に学舎を整えました。
江戸時代、武士によって建てられた学校のほとんどは、武士の子弟教育を行うためのものでしたが、 東原庠舎では農民や弔問の指定も学ぶことができました。
東原庠舎での授業は、儒学をはじめ和学、農学、礼法、武術など幅広く行われました。 武士の子弟は8歳で入学、25歳で卒業し、一定の地位を修得することが義務付けられていました。 また、寄宿制度もあり、3つの分校が設置されていました。
東原庠舎から多くの人材が育ち、なかでも儒学者 草場佩川、草場船山、日本電気工学の父・志田林三郎、 刑法学者・鶴田斗南、実業家・高取伊好などが知られています。
現在の東原庠舎は、茂文の建学の精神を受け継ぐ目的で建てたものです。
平成4年5月、天皇、皇后両陛下は行幸啓の折、この庠舎でご休憩になられ多久聖廟もご覧になられました。  【現地案内より転記】

 ▲ 東原庠舎(とうげんしょうしゃ)

 ▲ 孔子石像

 ▲ 東原庠舎(とうげんしょうしゃ)
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多久聖廟 DATA
住所佐賀県多久市多久町1843-3
TEL0952-75-5112
HPhttp://www.ko-sinosato.com
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last visited : 2014/08/17