[二月田温泉] 殿様湯 
殿様湯
島津氏は、元禄年間(1688年〜1704年)に摺ヶ浜(すりがはま)、 寛政年間(1789年〜1801年)には長井ノ湯に温泉別館を設けていました。
天保2年(1831年)に、 島津氏の第27代当主であり、薩摩藩の第10代藩主であった島津斉興(しまづ なりおき)によって、 温泉別館はこの地に移され、それ以降代々の薩摩藩主の別館となり、 『殿様湯』と呼ばれるようになりました。

当時の風呂場の敷石や、石造りの湯船、当時貼られていた浴室のタイルが、 現在の浴室の裏手にそのまま残っています。
現在の浴槽は、当時の物ではありませんが、 湯船には丸に十の字の島津家の紋があり、伝統と歴史を感じる事ができます。

 ▲ 殿様湯

 ▲ 入湯料は正面の民家で支払う
入湯料金は、殿様湯の正面に立つ民家で支払います。 代々「殿様湯」を管理されているお宅です。
そこで「鍵付きのロッカーはないので、貴重品に注意して下さい」と言われ、貴重品は車の中に置いて行く事にしました。 (勿論、車中も安全とは言えませんので、自己責任で)


 ▲ 殿様湯 入口


 ▲ 歴代藩主の名前が掲げられている
[指宿市指定文化財 殿様湯跡の由来] [現地説明版より転記]
当温泉場は第27代薩摩藩主島津斉興(なりおき)公が創建された別荘の遺跡です。 斉興公はこの湯は諸病に特別の効能があることを喜び文政10年(1828年)に湯殿を造り、 天保2年(1831年)弥次ヶ湯より長井温泉館をここに移されました。 当時は30余棟の館と趣向をこらした豪華な湯殿を備え、島津藩主代々の行館として俗に殿様湯と称されました。
その後、斉彬公、忠義公、久光公もしばしば逗留され、指宿の雄大な景観を併せ賞せられた由緒深い所です。
明治28年(1895年)今林傅太郎の所有となり、現在その孫、今林益弘が経営管理し、 昭和59年(1984年)建物等の老朽化のため一部を残して改築し、今日に至っています。
なお、殿様湯跡は隣接の温泉の神「湯権現」とともに泉都指宿の歴史と関係の深い史跡として、昭和46年3月20日(1971年) に指宿市文化財に指定されました。
以上、殿様湯跡の由来を記し、後世に伝えるものです。
                    昭和62年3月1日 今林益弘

 ▲ 温泉成分表
殿様湯の入り口前には、石樋(いしどい)を利用した飲泉場があります。
この石樋は、安政4年(1857年)第28代島津斉彬公が二俣山の麓(旧グリーンピア指宿辺)から、 この二月田温泉殿様湯まで3km余りに及んで水道が引かれたときの由緒ある物です。


 ▲ 入り口前には飲泉場が

 ▲ 女湯
飲泉の効能としては、鉄分や塩分が含まれているため、 胃腸や貧血、糖尿病に効果があると言われています。

殿様湯の泉質は「ナトリウム−塩化物泉」で、源泉は52℃という熱めのお湯です。 お湯は少し緑褐色をしています。
浴槽の横には熱いお湯が溜められており、黄色い札の付いた栓を抜けば、熱いお湯が浴槽に流れ込む仕組みになっています。 といっても、 浴槽のお湯も結構熱めのお湯ですので、余程の熱湯好きの方向けですね。
残念ながら写真には写っていませんが、この熱い湯溜めの側面に、島津氏の家紋が入っています。

現在の浴室の裏手に、「殿様湯跡」が残っています。 この旧浴槽は石畳で造られており、お湯は湯源より4つの湯つぼを次々とまわるように工夫されていました。
『足軽以下、是れより内に入る可からず』と美しい字で彫刻された注意書きが今でも残っています。

 ▲ 殿様湯跡

 ▲ 女湯 脱衣所

 ▲ 女湯 脱衣所
殿様湯の横には、「湯権現神社(ゆごんげんじんじゃ)」が鎮座しています。
この神社は、島津斉興が天保2年(1831年)に湯の里の長井温泉館をこの地に移されたとき、 同時に移築されたもので、小名彦命を奉祀する神社です。
地域住民は当時の温泉ならびに経済発展の守り神として尊崇し、 現在でも指宿温泉まつりの式典は、毎年この神社前で執り行われます。

 ▲ 湯権現神社(ゆごんげんじんじゃ)
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二月田温泉 殿様湯 DATA
住所鹿児島県指宿市西方1408-27
電話番号0993-22-2827
営業時間7:00〜22:00
入浴料金大人(中学生以上):300円 子供:110円 幼児:60円
定休日毎週金曜日(祝日,お盆,年末年始の金曜日は営業)
駐車場無料。
公式HP
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last visited : 2018/09/17