青の洞門 

▲ 青の洞門入口。現在は車も通れ、観光バスなども通る
青の洞門
大分県中津市本耶馬渓町にあり、山国川に面してそそり立つ「競秀峰(きょうしゅうほう)」の裾にある洞門(隧道、トンネル)で、 大分県指定史跡です。 全長は約342m。

禅海(ぜんかい)和尚が 『羅漢寺』 を参詣した時、 川沿いの鎖のみの断崖絶壁から人馬がしばしば命を落とすことを哀れみ、 トンネルを作る事を思いつきました。
1730年(享保15年)頃、豊前国中津藩主の許可を得て掘削を始め、その後村民や九州諸藩の領主の援助を得て30年余りの歳月をかけ、 1763年(宝暦13年)に洞門を完成させました。
「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」と言われており、 禅海和尚が使用したというノミや槌は、羅漢寺にある 「禅海堂」 に展示されています。
開通後、通行人から通行料を徴収したと伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われています。

現在「青の洞門」と呼ばれるようになったのは、 この洞門の逸話を元にして書かれた菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』によるものです。

耶馬渓橋前の信号から山国川沿いに青の洞門へと入ると、 洞門の手前に小さな土産物屋と車が数台停められるスペースがあり、目の前には車一台通れる程の洞門がぽっかりと穴を開けています。
余り歩きたくない方は、こちらに車を停めると良いでしょう。 反対側には大型駐車場がありますが、この洞門入口まで往復すると結構歩きます。
禅海和尚が掘った素掘りのトンネル跡は、写真に見える「青の洞門」の碑が建っている場所辺りから、 もうひとつ小さな人道のトンネルがあり、そこが現在も残っている手掘り洞門の一部です。

 ▲ 山国川と現在の洞門

 ▲ 青の洞門入口横の紅葉

 ▲ 現在は信号で交互に通行させる

 ▲ ここから入ると右側部分に手掘りの洞門が残る

 ▲ 昔の手掘りの洞門。中にはお地蔵様と禅海和尚の像

 ▲ 最初に開けた明かりとりの穴が現存している

 ▲ 禅海和尚の像

 ▲ 耶馬渓橋から一番近い洞門を抜けた所

 ▲ 現在は車道と人道がある

 ▲ 入口の銀杏が青々している頃
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 ▲ 競秀峰と禅海和尚の銅像
禅海和尚の手掘りの洞門が残るトンネル入り口とは反対側には、大型駐車場が完備されており、 土産物屋や食事処が集まっています。 駐車場からは山国川を挟んで隣にある「レストハウス洞門」へ連絡橋を渡って行けます。 駐車場の端には禅海和尚の銅像が建っています。 この駐車場や向かいのレストハウス洞門からは、競秀峰を間近に、またダイナミックに一望でき、絶好の撮影スポットにもなっています。

 ▲ 大型駐車場と競秀峰

 ▲ 競秀峰探勝道入口の紅葉

 ▲ 競秀峰探勝道入口

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競秀峰も2011年に行われた「名勝耶馬渓景観再生事業」により、修景が実施され、 余分な木々を取り除き、 名勝として指定された当時の景観に再生されています。

 ▲ 青の洞門と競秀峰

 ▲ 青の洞門と競秀峰(修景前の2008年)    
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青の洞門 DATA
住所大分県中津市本耶馬渓町
電話番号
公式HP
備考無料駐車場あり
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last visited : 2011/11/25