本尊は釈迦如来で、曹洞宗蓬来山永国寺といいます。
第九代相良前続公が開基、一徑永就和尚が開山し、
寺院の創立は応永15年(1408年)とも17年ともいわれますが、
第二代實底(実底とも)和尚の時のことです。
実底和尚が描いたと伝わる『幽霊の掛け軸』が有名で、別名「ゆうれい寺」とも呼ばれています。
明治10年の西南戦争の際、約1ヶ月間西郷隆盛が本陣として利用したところでもあります。
幽霊の掛け軸は、本堂の中の左手に展示されています。
幽霊が出たという池は、本堂の中の右手廊下を使って裏庭にあります。
明治10年2月21日、西郷隆盛は熊本に向かう途中、諸将と共に人吉に一泊、
球磨川を下って八代に向かったが、熊本田原坂に破れ、
4月27日、再び人吉に至り、ここ永国寺を本陣とした。
西郷は、一切の作戦を村田、桐野等、諸将にまかせ、時折、このあたりを散策し、
時には、うさぎを狩り、或いは球磨川に漁したという。
かくて官軍が、人吉に迫るに及び、5月29日、33日間とどまった本陣を去り、
狙撃隊に守られ大畑(おこば)、加久藤(かくとう)峠を越え、
小林に向かった。又、八代南郊の戦いで傷ついた、人吉藩士、別府晋介等は、
ここで治療をうけており、臨時病院ともなった。
[現地立札より転記]
|