箱崎八幡神社(日本一の大鈴) 

箱崎八幡神社(日本一の大鈴)
鹿児島県出水市は日本一のツルの渡来地で、一万羽を越えるツルが飛来し越冬する様子は出水市の冬の風物詩となっています。
そんな出水市には、他にも幾つかの日本一が存在します。

「箱崎八幡神社」は 日本一大きな鈴日本一小さな鈴 がある神社です。

日本一大きな鈴 は、神社の神門に吊り下がっている大鈴です。 金色に輝くこの大鈴は、『成せば成(鳴)る。大願成就の大鈴』と言われていて、 自由に成(鳴)らすことが出来ます。
大鈴には出水を象徴するツルの舞う姿が浮き彫りにされており、 大きさは、高さ4m、直径3.4m、重さ5トンというものです。

 ▲ 大きなツルが出迎える、箱崎八幡神社

御祭神(筑前筥崎宮に同じ)
誉田和気命(応神天皇)
息長足比売命(神功皇后)
高良玉垂命(武内宿祢)

由緒来歴
島津始祖忠久公が始めて山門院野田へ下向の途中筑前博多の沖で逆風に遇い、乗船まさに難波せんとする折、 筥崎宮に誠願して難を免れ無事山門院荘之浦に着船せし故をもって当社を勧請したと伝える。 初め野田極楽寺(女子好位置)に建立、その後名護浦、六月田と移り出水領主薩州家二代国久公の文明の項(五百余年前) 此の地宮内を卜(ぼく)として当社を建立したという。 六代義虎公は最も尊崇公馬く永禄六年には御宝殿も造立している。 しかし天正十五年の豊臣秀吉の征西、更に朝鮮の役には、出水領主薩州家は断絶し出水の地は没収させられて、 秀吉の殿領となり当社は、別当寺の成願寺と共に破壊された。 だが慶長四年朝鮮役の島津宗家義弘、家久父子の抜群の戦功により、出水は再び島津家久公に与えられた。 翌年、公は自ら出水に入部し僅かの間に荒廃した山河を見て、初ず当社と成願寺の復興を命じたのである。 出水郷第二地頭椛山久高は、慶長十四年琉球攻めの主将を命ぜられ、出陣に当り、当社に戦勝を祈願、 目山度任を果して佩用の鎧、太刀を奉納した。かくして当社は薩州の宗社国境鎮護の神として、 歴代藩主の尊崇厚く大祭には必ず地頭が代参をつとめたのである。 明治維新後は別当寺、成願寺も、廃寺となり神領も多くは上地となり、社殿も腐朽した。 そして明治十五年、氏子相計之義金を以て社殿を造営したが某の後明治、大正、昭和の約百年を経て再び改築の期を迎えた。
かくて昭和五十五年、氏子有志の募金により、新社殿の再興をみたのである。
[ 現地案内板より転記 ]


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 ▲ 日本で2番目に小さい鈴
境内には、銀色の鈴の形をした、敬宮愛子内親王殿下御誕生記念の「寶物鈴殿」があり、 その中に 日本一小さな鈴 が展示されています。
他にも 「平和の神鐘」や、「鶴神様」の像や「撫鶴」「撫亀」、「日本で2番目に小さい鈴」、 鈴の真ん中に空いた穴を潜る「なせばなる通り門」など、所狭しと色々なオブジェが並んでいます。
鈴の形と鶴の像が多いです。

 ▲ 左から、「平和の神鐘」、「鶴神様と撫鶴・撫亀」、中央奥に拝殿、「なせばなる通り門」







 ▲ 寶物鈴殿

 ▲ 寶物鈴殿の中にある日本一小さい鈴

 ▲ 県道373号の参道入口のモニュメント

 ▲ 県道373号の参道入口
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箱崎八幡神社 DATA
住所鹿児島県出水市上知識町46
電話番号0996-62-2219
公式HP
備考
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last visited : 2018/12/06