回天記念館 
回天記念館
山口県周南市の 大津島 は、太平洋戦争末期に日本海軍の特攻兵器である人間魚雷「回天」 の最初の訓練基地が設置され、若い兵士たちが厳しい訓練に励み、祖国を守るために出撃して行ったところです。

回天記念館は、当時の回天搭乗訓練員の宿舎跡に建てられた、 回天に関わる遺品、資料の展示を中心に、回天の歴史や時代背景、当時の生活などをパネル展示やビデオで紹介する施設です。 また研修室、視聴覚コーナーなどを備え、平和について学習する施設となっています。

回天記念館の門をくぐると、亡くなった回天乗組員たちの一人一人の名前と出身地の入った烈士石碑が並んでいます。

 ▲ 回天記念館

 ▲ 回天の実物大模型
「回天」とは、大日本帝国海軍が開発した、人間が搭乗して敵艦に体当たりする為に改造した魚雷のことで、 日本軍初の特攻兵器です。
「回天」という名称は、「天を回らし、戦局を逆転させる」という願いを込めて付けられました。

太平洋戦争の戦況が厳しくなる中で、若い青年将校、黒木博司中尉と仁科関夫少尉の二人は、 レーダーの登場によって艦艇間での戦闘が行われなくなったために、倉庫に大量に眠っていた 超大型魚雷「九三式酸素魚雷」に着目し、人間が搭乗して魚雷を操縦し、敵艦に体当たりする兵器として 改造・開発する事を構想しました。
最初は却下された回天の構想も、戦局が悪化する状況の中で、試作・実験が開始されました。 当初は脱出装置を付ける事が条件でしたが、実装されることはありませんでした。

昭和19(1944)年9月に大津島回天基地が開設され、板倉光馬少佐、黒木博司、仁科関夫が中心となって、 本格的な訓練が開始されました。
大津島に回天基地が開設されたのは、既に酸素魚雷の試験場があったことと、 特殊兵器という機密性の保持の観点等から選ばれたそうです。

その後、大津島の基地が手狭になったため、 同じ山口県内の周防灘側の光(光基地)と平生(平生基地)にも基地が設けられ、 さらに大分県速見郡日出町大神(大神基地)にも基地が設けられました。

 ▲ 回天記念館の回天の模型

 ▲ 回天断面略図

 ▲ 九三式酸素魚雷のエンジン
page top 
回天記念館の展示室は、基本的に撮影可能でした。 多くの戦争関連施設がそうである様に、遺影の撮影はできません。

入ってすぐに映像コーナーがあるので、そこで予習をして、館内の展示をゆっくり見て回りました。
館内は平日の朝イチだったせいもあり、後から数人の来館者がありましたが、ゆっくり思う存分見て回ることが出来ました。

 ▲ 展示室

 ▲ 展示室

 ▲ 仁科少佐の遺品

 ▲ 展示室


 ▲ 「出口のない海」撮影用の回天船内模型

 ▲ 「出口のない海」撮影用の回天船内模型

この「黒木樋口両少佐の遺書」は、展示室からトイレに行く為に外に出たときに、 事務室の入口辺りにありました。

回天での最初の殉職者となったこの2名は、 昭和19(1944)年9月6日、回天の訓練中の事故で亡くなりました。

悪天候だったこの日、樋口大尉が操縦し、黒木大尉が指導する一号艇での訓練は、午後4時を予定していましたが、 訓練予定時間になっても整備作業が続いていました。 午後になると更に天候が悪くなってきた為、基地の司令官は訓練の中止を指示しましたが、 これに対し、黒木大尉は、「天候が悪いからといって敵は待ってくれない」と怒鳴り、 司令官は押し切られる形で、波の影響を受けにくい徳山湾内でならとの許可を出しました。
午後5時40分、回天は発進しましたが、浮上の予定時間になっても現れなかったため、徹夜での捜索活動が行われました。 翌朝の午前9時過ぎに、海面にわずかに気泡が発生しているのを発見することで、一号艇の場所が確認されました。
一号艇は、天候の影響で18mの海底に着水するという事故を起こし、 2人は酸欠の為に亡くなりました。
しかし2人は、息絶えるまでの間、ノートや艇の壁面に、事故の詳細や改善点、遺書などを書き残しました。
この遺書を見ると、「翌朝7日の0405呼吸困難なり」「0600猶二人行く生を共にせん」 「0610大日本帝国万歳」と、午前6時頃までは生きていた様です。 発見があと3時間早かったら・・・
しかしこの出来事は、「黒木に続け」として搭乗員たちの士気を高ることとなりました。
page top 
この鐘楼は、大津島を基地として人間魚雷として散華した回天烈士の例と、 なぞの爆沈をとげた戦艦「陸奥」の犠牲者を悼み、 不幸な戦争が再び繰り返されないよう、平和を祈念して、 戦艦「陸奥」の艦材を以て梵鐘を謹鋳し、建立されました。
この鐘は、戦艦「陸奥」の三番砲塔にあった「薬莢」の砲金約100kgを素材として 鋳造したもので、直径90cm、重さ850g、宇治・平等院の国宝の鐘と同じ様式です。
また「願わくば無名の防人として南溟の海深く安らかに眠り度く存じおり候」 という金剛隊・久住宏少佐の遺書も刻まれています。

 ▲ 鐘楼

 ▲
page top 
養浩館
回天記念館手前の坂道の途中に、回天記念無料館休憩所「養浩館」があります。 この中にも回天に関する写真などが展示されています。

毎週水曜日閉館と書かれていますが、 私が訪れた日は月曜日でしたが、閉館していました。 非常に残念でした。


page top 
回天記念館 DATA
住所山口県周南市大津島1960
電話番号0834-85-2310
入館料大人:300円
時間8:30〜16:30
休館日水曜日
駐車場なし
公式HP
備考
近隣 SPOT 関連 LINK

BACK    HOME    PAGE TOP
last visited : 2017/05/08