藤原廣嗣(奈良時代太宰府小弐)が戦いに敗れ肥前に逃げる途中、 馬卆右馬七郎が足をすべらせ石窟に入り込み寒さを凌いでいた。
然し咳をしたので官軍に見つけられ自ら腹に刀を突きたて自害した。
天平十二年(七四〇)のことである。
土地の人が哀れに思い弔った。
現在かぜ、咳、ぜんそくの神様として参拝者があり、御願成就には木刀を供える風習がある。
[現地案内板より転記]
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現地案内板によると、この岩窟に隠れていた七郎さんだったが、
咳をしてしまった為に敵に見つかってしまい、刀で自害したという事らしい。
それを哀れんだこの地の人が七郎さんを弔い、
それが転じて咳・喘息の神様となったみたいです。
咳をして命を落としてしまった七郎さんが、お祀りされて、
咳で苦しむ人々を助けてくれる様になったのですね。
現在では木刀は手に入りにくいからか、
奉納されている刀は殆どが塩ビのオモチャなところも、
逆転の発想で咳の神様になってしまったところも、
民間信仰の面白さを感じさせてくれます。