旧出津救助院 
旧出津救助院
長崎市の外海地区は、長崎市の北西に位置しており、 禁教時代にはカクレキリシタンが多く潜伏していた地域です。 外海地区にはそれぞれの教会堂を持つ集落が幾つかあります。

出津教会堂』 を中心とした出津集落には、 明治時代に外海地区のカトリックの神父であったド・ロ神父の偉業を後世に伝える幾つかの遺構が残されています。

「マルク・マリー・ド・ロ神父」は、フランス人宣教師であり、 1868(慶応4)年に宣教師としてだけでなく、石版印刷の技術を伝える為に28歳で来日しました。 74歳で亡くなるまでの46年間を日本で過ごし、そのうち33年間を外海の人々に捧げました。

 ▲ 旧出津救助院入口

 ▲ 聖ヨゼフの仕事部屋(授産場)
「旧出津救助院」は、ド・ロ神父が女性の自立支援のための作業場として1883(明治16)年に建て、 織物、縫物、素麺などの食品加工などをおこなった施設です。
「外海の人々を貧しい生活から救いたい」 「海難事故や病気で一家の働き手である夫や息子を失った妻や母、仕事のない娘に働く場を」 という願いから、私財を投じてこの施設を作ったのだとか。

敷地内には、
聖ヨゼフの仕事部屋(授産場)(国指定重要文化財)
マカロニ工場 (国指定重要文化財)
薬局 (診療所)
製粉工場 (水車小屋)
があります。

受付として使われている建物は、「薬局(診療所)」です。
受付で入館料を払うと、ガイドの方が早速「授産場」を案内して下さいました。
メインの建物である「授産場」は、 木造2階建てで、1階は作業場、2階は修道女の生活の場などに使用されていた建物で、 国の重要文化財に指定されています。
構造は、木骨石造(一部煉瓦造)2階建、寄棟造、桟瓦葺で、堅牢な建物です。

1階の床の中央には木の板が張ってありますが、その下は地下貯蔵庫になっています。 北側には茶煎り釜、かまど、便所が設けられています。
奥にはド・ロ神父が考案したカンコロ切り機と素麺延し機が保存されています。

 ▲ 聖ヨゼフの仕事部屋(授産場)1階

 ▲ ドアも当時のまま

 ▲ ド・ロ神父の記録帳「日日の帳」

 ▲ ド・ロ神父考案のカンコロ切り機と素麺延し機

 ▲ 聖ヨゼフの仕事部屋(修道女の生活の場)
2階の説明は、現役のシスターが担当して下さいました。
2階は修道女の生活の場などに使用されていただけあって、正面にはド・ロ神父が取り寄せたというマリア像や時計、 ハルモニュウムが置いてあります。 時計とハルモニュウムは現在も動いています。

部屋の両脇には布団などを収納する日本の押し入れ的なスペースがあり、その上に窓が設けられています。
マリア像の手前の床には、足元の床板が薄く、板の隙間から階下の光が透けて見える部分があります。 ここは当時、1階と2階で物を上げ下ろしする為に床が開いていたのだそうです。
ハルモニュウムは、リードオルガンの一種です。
このハルモニュウムは、フランス・デュモン社製で、高音部3列、低音部2列のリードを持ち、非常に美しい音色を出します。 鍵盤を左右に動かす移調機能や、単音でも重厚な和音を出す機能を持ち、高級品の名に恥じない立派な楽器です。
ド・ロ神父が、明治22(1889)〜23(1890)年頃に購入し、毎日のミサで使用しました。
このハルモニゥムは現在も使用でき、ガイドをして下さったシスターが、ハルモニュウムの演奏もして下さいました。


 ▲ ド・ロ神父のハルモニゥム

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メインの「授産場」の建物の向かい側に建つレンガ造りの建物は「旧製粉工場」です。
ド・ロ神父はフランス人ですが、このレンガの積み方は、イギリス積みを採用しています。 イギリス積みは、長いレンガだけの段、短いレンガだけの段と一段おきに積む方式で、 フランス積みより丈夫で経済的と言われています。

旧製粉工場は、敷地内から見ると、レンガが見えず、日本家屋の様に見えました。

 ▲ 旧製粉工場


 ▲ 旧製粉工場

 ▲ 旧出津救助院配置図

 ▲ マカロニ工場

 ▲ マカロニ工場


 ▲ ド・ロ塀が美しい
国指定重要文化財 旧出津救助院 [現地案内板より]

旧出津救助院は、明治12年(1879)、外海地区の主任司祭としてこの地に赴任した、パリ外国宣教会のフランス人宣教師、 マルコ・マリ・ド・ロ神父が、村民の窮状を救うために私財を投じて創設した授産・福祉施設です。 現存する授産場は、ド・ロ神父の設計施工により、明治16年(1883)に竣工しました。 その東方にマカロニ工場を配し、建物から「ド・ロ塀」が延びています。 続いて、鰯網工場(ド・ロ神父記念館)が明治18年(1885)に竣工しました。
救助院では、日記、算術などの学業を授け、製粉、機織、パン、そうめん、マカロニ、搾油などの技術を教えました。 使用された機械器具は、ド・ロ神父がヨーロッパ諸国から購入したものです。
旧出津救助院は、顕著な地方的特色を有し、西洋の建築技術を取り入れた、明治初期の授産・福祉施設という他に例をみない、 貴重な文化財です。(平成15年12月25日指定)
【授産場】 [現地案内板より]

明治16年(1883)竣工。旧出津救助院の中心施設です。木造及び石造、二階建、寄棟造、桟瓦葺。 桁行19.4m、梁間5.2mの身舎の四周に幅約2.1mの庇を廻した構成です。 1階は広い一部屋の作業場、2階は、修道女の生活場所、礼拝堂として使用されました。
【マカロニ工場】 [現地案内板より]

マカロニ製造の目的で建設されました。桁行10.1m、梁間3.9mの煉瓦造、切妻造、桟瓦葺。 漆喰塗りで、軒は大きく鉢巻き状に造り、内部は東西二室に分かれ、竈が設置されています。 建物から「ド・ロ塀」が延びています。
【鰯網工場】 [現地案内板より]

明治18年(1885)竣工。鰯網の工場として建築した建物です。 翌年から保育所として使用されました。木骨煉瓦造、平屋建、寄棟造、桟瓦葺、桁行23.8m、梁間5.6mの 主体部の西面に下屋を付けています。キングポスト・トラス小屋組や風防用の石積壁などを特徴とします。 保育所の利用は、救助院等で働く人々の子どもが対象で、給食調理も行うなど、国内では極めて先駆的な取り組みでした。
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旧出津救助院 DATA
住所長崎市西出津町2699番地1
電話番号0959-25-1002
開館時間9:00〜17:00
入館料
公式HP
備考
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