田島岳高射砲台跡 
田島岳高射砲台跡
西海国立公園の弓張園地に位置するこの弓張公園の中にあります。 佐世保市街・佐世保港・九十九島を一望できる大パノラマで知られる 弓張岳展望台 と隣接しています。
駐車場に車を停めると、右手が「弓張岳展望台」、左手が「田島岳高射砲台跡」です。

なぜ「田島岳」というのかというと、当時の海軍では弓張岳の事を田島岳と呼んでいたから。
弓張公園として整備された中には、大きな遺構が2つあります。 「田島岳高射砲台電波探信儀跡」と「田島岳高射砲台砲座跡」です。

【旧佐世保海軍警備隊田島岳高射砲台跡】 [現地案内板より転記]

弓張岳(海軍では田島岳と呼んだ)において本格的な高射砲台の整備が行われたのは昭和13年(1938)頃のことであった。 最初の装備は3年式8cm高角砲2門、空中聴音機1基、須式90cm探照灯1基であった。 この装備は太平洋戦争開戦後の昭和17年に警戒用の電探(レーダー)が装備された他は大きな変化はなかった。 しかし昭和19年7月の初空襲以降に戦訓に基づく増強が繰り返され、最終的には98式10cm高角砲6門、 警戒用の11号電探1基、射撃用の41号電探1基を装備した。 記録によると6回の対空戦闘を行い、佐世保空襲の際には電測射撃14回、136発の発砲を行っている。


 ▲ 田島岳高射砲台電波探信儀跡

 ▲ 田島岳高射砲台電波探信儀跡
【田島岳高射砲台電波探信儀跡】 [現地案内板より転記]

この施設は電波探信儀(レーダー)跡を野外ステージとして改造したものである。 中心には日本海軍が初めて実用化した対空射撃用の仮称4号電波探信儀1型(41号電探)1基が装備されていた。 すり鉢状の地形は山や建物、海面や地面からの反射波を防ぐ掩体である。 レーダーの開発が遅れていた日本海軍は戦利品として手に入れた連合軍のレーダーを参考に昭和18年(1943) 夏頃に試作に成功し、国内やラバウルでの実用試験を経た昭和19年(1944)11月に国内で初めて田島岳高射砲台に装備された。 昭和20年(1945)6月の佐世保空襲では14回の電測射撃を記録している。

写真左:田島岳高射砲台と同型の仮称4号電波探信儀1型

残念ながら撮影場所は特定できない。GHQが昭和21年(1946)に作成した報告書『Survey of Japanese Antiaircraft Artillery』 に掲載されていた。フィリピン方面での戦いで入手したアメリカ軍のSRC268型レーダーを母体としたことから、 報告書では「SRC268型のコピー」と記述されている。実際には改良型で、イギリス軍のGL1型レーダーの測距方式を取り入れたものだった。
 ▲ 案内板の写真より  ▲ 八重桜が咲いていた
右写真の桜の木の後方に、「田島岳高射砲台砲座跡」が1基(砲座二番)あります。 少し離れたところにもう1基(砲座一番)あります。 当時は3基装備されたそうですが、現存している砲台砲座跡は2基です。

また、入口にあった案内板によると、公園内には「指揮所(探照灯)跡」と「弾薬庫跡」も残っている様です。

 ▲ 弓張公園として整備されている

 ▲ 砲座(二番)

 ▲ 砲座(二番)
【田島岳高射砲台砲座跡】 [現地案内板より転記]

この施設は昭和19年(1944)11月に完成したもので、中心には来襲した敵機を迎撃する98式10cm連装高角砲1基が装備された。 周囲の穴倉は弾薬庫で高角砲がどこに向いていても素早く給弾できるよう工夫されている。
この高角砲は日本海軍が艦載機として昭和13年(1938)に開発したもので、防空駆逐艦として知られる秋月型駆逐艦の主砲として搭載された。 砲身長が65口径(砲口径10cm×65=6.5m)と長いことが特徴で、最大射程は18,700m、最大射高は13,300m、 発射速度は毎分19発(15発の史料あり)という当時世界最高水準の性能を誇った。 田島岳高射砲台には3基6門が装備された。

写真左:戦後に米軍の調査を受ける田島岳高射砲台の98式10cm連装高角砲

背景に移っている山並みと弾薬庫上の特徴的な水切りにより、田島岳のものと特定できた。 GHQが昭和21年(1946)に作成した報告書『Survey of Japanese Antiaircraft Artillery』に掲載されていた。
 ▲ 上の説明版の写真  ▲ 砲座の弾薬庫

 ▲ 砲座(一番)

 ▲ 砲座(一番)
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田島岳高射砲台跡 DATA
住所長崎県佐世保市小野町
電話番号
時間終日開放
駐車場あり
公式HP
備考
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last visited : 2019/04/12