特攻碑公園 

特攻碑公園
鹿児島県出水市にはかつて出水海軍航空隊がありました。 旧海軍出水航空基地は、300ヘクタールにも及ぶ面積で、 現在の特攻基地公園周辺には士官舎や基地の主要施設があったところです。

特攻基地公園には、 南海の果てに散った若き特攻隊員たちの心境を詠んだ、阿川弘之の「雲の墓標」の石碑が立っており、 出水からの出撃隊員の名が刻まれた石碑や、 出水付近の海中から引き上げられた軍機のプロペラが安置されています。 また、当時の衛兵塔と、地下壕が残っており、 地下壕内部を見学する事が出来ます。

毎年、桜の時期になるといずみ桜まつり、 そして4月16日には遺族を迎えての慰霊祭が執り行われています。

 ▲ 特攻碑公園

 ▲ 地下壕入口
出水における飛行場築造は、昭和12年に畑、山林、宅地などをの買収が始められ、 昭和15年に出水飛行場を構築し、飛行機の発着が行われました。 その後拡張され、面積は300ヘクタールにも及びました。

昭和16年4月1日に佐世保海軍航空隊出水分遣隊が置かれ、 昭和16年8月中旬に本格的な戦争準備が始まると、艦上攻撃機隊が真珠湾攻撃の準備のための訓練を行いました。 この部隊は、空母「蒼龍」「飛龍」に収容され、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に参加しました。

その後この基地では、昭和18年4月1日に出水海軍航空隊(後の第一出水海軍航空隊)が練習航空隊として開隊発足しました。
昭和19年8月15日には、飛行機の整備教育を行うために、高尾野町下水流に第二出水海軍航空隊が開隊しました。
昭和19年10月には、戦局の悪化に伴い、七六三航空隊(銀河部隊)(攻撃部隊)が開隊しました。
昭和20年3月には、訓練中の甲飛13期練習生は朝鮮の光州に移動したため、 第一・第二出水海軍航空隊は解隊し、 出水基地は戦闘部隊の基地として利用されるようになりました。

昭和20年2月に日本海軍は第五航空艦隊を編成し、 出水には銀河隊攻撃四〇五・四〇六飛行隊が配置されました。 昭和20年3月18日以降特攻攻撃が始まり、散華された特攻隊員は200余名を超えると言われています。

 ▲ 地下壕入口のパネル

 ▲ 地下壕入口
地下壕
この防空壕は、昭和19年に開設された地下戦闘指揮所の地下壕です。 空襲の激化に伴い、この壕内から全ての戦闘指揮がなされました。
壕の入口は4ヶ所ありましたが、その内二ヶ所は空襲により破壊されました。
現在、残りの二ヶ所の入口から地下壕を見学する事が出来ます。 地下壕の中には出水海軍航空隊の解説パネルや、終戦の詔書、 出水基地で実際に使用されていた練習機の骨格部品などが展示されています。

地下壕の上部(地上部)には特攻碑などがあり、 出水近海で漁網にかかった友軍機のプロペラが2つ展示されています。

  ▲ 地下壕入口

  ▲ 地下壕内部

  ▲ 93式中間練習機(赤トンボ)の骨格

  ▲ 地下壕内を通り抜ける


 ▲ 出水近海で見つかったプロペラ
衛兵塔(哨舎)
この衛兵塔(哨舎)は、旧出水海軍航空隊の正面道路脇に設置されていたもので、 通行者の監視と警戒に当たりました。 元々は現在位置より南に約30メートルの位置にありましたが、 公園整備の際に地下壕の横に移築されました。

衛兵塔(哨舎)とは、基地の入口に立哨し警戒をした衛兵が詰める小屋の事で、 この衛兵塔の外壁には爆撃による弾痕が残されています。

  ▲ 衛兵塔
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特攻碑公園 DATA
住所鹿児島県出水市平和町149番
電話番号
利用料金無料
利用時間地下壕跡:9:00〜17:00
駐車場無料。17台
公式HP
備考
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last visited : 2018/09/15