日野江城跡は、長崎県南島原市のほぼ中央、有馬川河口付近の小高い丘にあります。
鎌倉時代前期の建保年間(1213〜1219年)に藤原経澄によって築城されました。
経澄は築城時に姓を有間と称し、後に有馬と改称しました。
当初は島原半島南部の一勢力に過ぎなかった有馬氏は、
後に島原半島一帯を支配し、戦国大名へと成長していきました。
有馬貴純の時代には、日野江城の支城として
原城 を築城しました。
晴純の時代に有馬氏の勢力は最大となり、21万石を領するまでに成長しましたが、
後ろ盾となっていた大内氏が滅亡すると佐賀の龍造寺氏の圧迫を受けるようになりました。
13代目当主の晴信は、始めはキリスト教に好意的ではありませんでしたが、龍造寺氏の攻撃が激しくなった事から、
1580年に洗礼を受け、イエズス会から食糧や資金等の支援を受けるようになります。
キリシタン大名となった晴信は、城下にセミナリヨを建設し、逆に寺社を破壊し城の築材としました。