水俣市立 水俣病資料館 (エコパーク水俣) 

 ▲ 左の建物が「水俣病資料館」、右の建物が「熊本県環境センター」
水俣病資料館
熊本県水俣市の水俣湾を埋め立てて造られた「エコパーク水俣」に隣接する、「まなびの丘」には、 「水俣病資料館」「水俣病情報センター」「熊本県情報センター」があります。

「エコパーク水俣」は水俣病の原因となった、チッソ水俣工場が排水した工場廃水で水銀汚染され、 ヘドロが溜まっていた水俣湾を埋め立てて造られた複合公園です。

「水俣病資料館」は水俣病の歴史と現状を正しく認識し、再び繰り返してはならないという願いと、 貴重な資料を収集保存し、後世へ伝承していくことを目的として開館しました。
館内へ入館すると、簡単な記帳をして、17分程度の水俣病の説明映像を見せて頂きました。 その後館内をゆっくり見学します。

 ▲ 水俣病情報センター

 ▲ 水俣病が発生する以前の水俣湾の様子
水俣病は、日本の四大公害病のひとつとされ、「公害の原点」とも言われています。 日本の高度経済成長期に発生し、工場災害の被害者数の多さでも知られています。

水俣病が発生する前の水俣湾は、昔から豊かな漁場であり、 魚をどれだけ獲っても獲り尽くせない「魚(いお)湧く海」と言われていました。 小さな漁村が点在し、人々は新鮮な魚介類を沢山食べていました。
もともと平地の少ない水俣では、半農半漁の生活で、余り裕福な地域ではありませんでした。

水俣に「チッソ水俣工場(当時は日本窒素肥料株式会社)」が出来たのは、1908年(明治41年)のことです。
1906年に現在の鹿児島県伊佐市に曽木水力発電所を建設した野口遵は、翌年、その余剰電力を利用してカーバイドを製造するため、 水俣に日本カーバイド商会を設立します。
1908年(明治41年)に曾木電気株式会社と日本カーバイド商会が合併し、日本窒素肥料株式会社(後のチッソ)となりました。
チッソは日本経済を支える大企業へ成長していき、 それに伴って工業都市へと発展した水俣は、企業城下町としての様相を濃くしていきます。

チッソ水俣工場は、1932年(昭和7年)にビニールなどの原料となるアセトアルデヒドの生産を始めました。 このアセトアルデヒドを生産する際にメチル水銀が発生し、これを工場廃水と一緒に海へ流したため、 海が汚染され、魚介類にメチル水銀が蓄積され、それを食べた人々が水俣病になったのです。
「水俣病は、移りません!!!」

 ▲ 大企業チッソと水俣市

今でこそ、原因が明確になり、メチル水銀に汚染された魚を食べた事によって発病したと分かっていますが、 当時は原因不明の奇病と思われていました。
先に異変が起きたのは、猫や鳥、勿論魚でした。 猫が躍る様に飛び跳ねたりして、死んでしまったのです。

そしてとうとう人間にも影響が。 1956年(昭和31年)に5歳と2歳の姉妹が発病し、チッソ附属病院を受診します。 これが「水俣病の公式確認」のきっかけになりました。

水俣病公式確認後の極めて早い時期に、漁民や一部の研究者は、 原因はチッソの工場廃水によるものではないかと気付いていました。
また、チッソも自社の附属病院でネコ実験を行い、原因が廃水である事が分かっていましたが、 それを公表する事はありませんでした。
水俣病の公式確認から9年もの間、チッソの工場廃水は止まる事なく流れ続けたのです。
人命や人の健康より、利益や経済の発展を優先させてしまったのは、 チッソだけの責任とは言い切れないのかもしれません。

水俣病資料館では、時系列に、 水俣病の発生から被害の拡大、 被害者の闘いと認定・補償制度、 患者さんの立場に立つ体験コーナーや、 環境復元を通して環境モデル都市となった水俣までが展示されています。

実際に展示物や説明をじっくりと見て、読んで、理解を深めると、 十人十色の考えた方、感じ方があるのではないかと思いました。

 ▲ 止められなかった排水

勿論、工場廃水が原因だと分かった時点で、廃水を止めれば、また漁業の停止を求めれば、 被害の拡大を防げた事は明白です。
しかし、時代背景を考えると、簡単に廃水を止めれなかった、止めようとしなかった事も分かる様な気がしました。
今の時代には考えられない話ですけれども・・・

「水俣病資料館」には、 「水俣病情報センター」と「熊本県環境センター」が隣接しており、 環境学習の場として、利用されています。
私が訪れた時にも、小学生の社会科見学が行われていました。

資料館の入口正面の不知火海を望む位置には、「水俣メモリアル」が設置されています。

 ▲ 水俣メモリアル

 ▲ 水俣メモリアル

 ▲ 水俣メモリアルから不知火海を見る
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よかたい先生 水俣から世界を見続けた医師。「公害の原点」と呼ばれる水俣病事件から50年もの間、患者の側に立ち続けた医師、原田正純。世界のあちこちで公害病の人たちを診察し、水俣から社会のひずみを訴え続けた。原発事故後の今、過去を知り、未来に活かすことの大切さを伝える。
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工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき“いのちの文学”の新装版。
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水俣市立 水俣病資料館 DATA
住所熊本県水俣市明神町53番地
電話番号0966-62-2621
営業時間9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日月曜日(祝日の場合は火曜日)、年末年始(12/29〜1/3)
公式HPhttp://www.minamata195651.jp/
備考
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last visited : 2017/06/15