1797年(寛政9年)大村藩に住むキリシタンたちの五島移住が始まった。
当時の大村藩主は、キリシタンであった側近の士族、鶴田沢右ェ門を福江藩に依頼し、その配慮の結果、
鶴田家はこの立谷の地に幽閉流刑されることとなった。
その後、田原要蔵、永山平蔵らの移住があり、キリシタン部落が形成されていった。
1865年、
大浦天主堂 でプチジャン神父による信徒発見があり、
鶴田沢右ェ門らも念願のカトリック教会復帰を果した。
1873年にキリシタン禁制の高札が撤去されると、その5年後、1878年この地にキリシタン復活後最初の教会堂を建立し、
翌年1879年ロカイン司教により献堂祝別された。
しかし、この貴重な教会堂も、1987年老築化により自然倒壊するに至った。
この立谷教会跡地は、先祖の偉業を風化させぬよう、1999年井持浦ルルド創設100周年記念の年に、
立谷教会に安置されていた無原罪のマリア像を再び在るべき場所に戻し、整備したものである。
[現地案内より転記]