日奈久温泉神社 
日奈久温泉神社
日奈久温泉 は熊本県八代市にある、熊本県下で最も古い歴史を持つ温泉街です。 「日奈久温泉センター ばんぺい湯」の左側の道を上って行くと、 温泉神社の参道です。 車では行けませんので、ばんぺい湯から歩いて行きます。
肥薩おれんじ鉄道の線路上に架かる石橋を渡り、石段を上り詰めると、温泉神社です。 ここからは日奈久温泉を見下ろし、また天草まで望める眺望スポットです。

日奈久温泉 は、 応永16年(1409年)に浜田六郎が父の刀傷を癒そうと神に祈り、市杵島姫神のお告げで温泉が発見されたと伝えられています。 温泉発見により日奈久に人が移り住み、温泉街となりました。 村人はこの御神徳に感謝し、応永26年(1419年)に、現在の温泉センターの近くに 『湯の神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)』を祀る祠(弁天社)を建立しました。
しかし 天明・文化の大火で町の大半が焼失し、弁天社も類焼したので、 文政5年(1822年)に温泉街を見下ろせる現在地に移されました。 明治初期の神仏分離のとき、湯の神社と称し、数年後、温泉神社と変更しました。

 ▲ 温泉神社

 ▲ 温泉神社手前より見た肥薩おれんじ鉄道

 ▲ 太閤越え
六郎を祀る六郎神社も同じ境内に移されており、 六郎の墓は神社登り口右側にあります。
また、日奈久の郷土玩具「板角力(いたずもう)」のモデルとなった、江戸時代の力士・ 嶋ヶ崎宇太郎関の墓もあります。

温泉神社参道は肥薩おれんじ鉄道の上を通っており、そこから撮った写真が左写真です。
肥薩おれんじ鉄道の線路の左に、豊臣秀吉が島津征伐に向け通った道「太閤越え(たいこうごえ)」が残っています。 もとは地元の人が温泉に入浴する為に通った道で、20万もの大軍が軍道として利用したと考えると、 現在の道幅より広かったと予想されます。
温泉神社の143段の石段の途中には、日奈久温泉イベント広場があります。 中央には土俵広場があり、それを取り囲むように、天然の傾斜した地形を生かした階段状の桟敷席があります。
これは江戸時代に地元有志により建設された相撲桟敷で、野外劇場風の構造となっており、 近頃まで九州各地から強豪力士が集まる奉納相撲が行われており、 多いときには約2万人の観客を収容していたと言われています。
春には桜が咲き、日奈久地区の花見スポットとなっています。 日奈久地区で行われるイベント会場として利用されています。

 ▲ 日奈久温泉イベント広場(相撲桟敷)から温泉神社を見上げる

 ▲ 石段横の水飲み場

 ▲ 石段から相撲桟敷を見下ろす

 ▲ 温泉発見由来

 ▲ 温泉神社からの眺望
石段を上り詰めると、日奈久の温泉街が見下ろせます。 特徴的な屋根の「日奈久温泉センター」が見えますが、 この辺りが日奈久温泉発見の地であり、昔はそこまで海が迫っていたのだとか。 海の向こうには天草の島が見えます。

温泉神社の右手には、「稲荷大明神」の赤い鳥居が続いています。 その横には「六郎神社」があり、一番左手の御社には『お告げの石』が安置されています。 1409年に、神(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)のお告げにより六郎左衛門が掘り起こしたとされる石です。

 ▲ お告げの石

 ▲ お告げの石
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日奈久温泉神社 DATA
住所熊本県八代市日奈久上西町401
電話番号0965-38-0251
参拝料無料
営業時間終日解放
休業日
公式HP
備考
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last visited : 2013/02/20