▲ 平和記念公園・元安川・原爆ドーム
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平和記念公園
広島平和記念公園は、広島市に投下された原子爆弾の爆心地に近い広島市中区中島町に整備された市民公園です。
旧太田川(本川)が元安川と分岐する三角州の最上流部に位置しており、
公園内には 「 原爆ドーム」、
「 広島平和記念資料館」、
「 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」、
他に数々の平和のモニュメントがあります。
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▲ 広島平和記念資料館
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原爆ドーム
1945年(昭和20年)8月6日8時15分に広島市に投下された、人類最初に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える記念碑(被爆建造物)で、
広島平和記念公園の北側に建っています。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」と戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産と呼ばれています。
もともとは広島県物産陳列館として開館され、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていました。
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▲ 原爆ドーム
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平和の鐘
平和記念公園の北側に屋外常設展示されている平和の鐘で、1964年(昭和39)年9月20日建立されました。
設計は梵鐘の分野で日本国宝となった香取正彦氏です。
4本の柱で支えられたコンクリート製のドーム型の屋根に、口径約1m×高さ1.7m、重さ約1200kgの梵鐘が下げられています。
梵鐘の表面には国境のない世界地図が浮き彫りにされています。
この鐘は誰でも自由に鳴らすことができます。
なお、平和記念資料館には、年に一度、8月6日午前8時15分に平和記念式典内で鳴らされる平和の鐘が展示されています。
▽以下、現地案内板より転記▽
この梵鐘、鐘堂は広島の悲願に立って、
すべての核兵器と戦争のない、まことの平和共存の世界を達成することをめざし、
その精神文化運動のシンボルとしてつくりました。
この梵鐘、鐘堂は平和を願う万人の心と浄財を結晶させてつくりました。
この鐘の音を、広島から、世界のすみずみまでひびきわたらせ、
全人類の一人ひとりの心にしみわたらせることを願っております。
この趣旨、目的をご理解の上、平和への願いをこめておつき下さい。
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▲ 平和の鐘
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▲ 原爆供養塔
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原爆供養塔
1955(昭和30)年8月5日に建立されたもので、
広島市への原子爆弾投下により亡くなった、氏名不詳や一家全滅などで引き取り手のない遺骨を供養しています。
この土盛りの内部に納骨堂があり、約7万人の遺骨が納められています。
この原爆供養塔付近にはかつて慈仙寺があり、被爆直後はここに無数の遺体が運び込まれ、臨時の火葬場となっていました。
1946(昭和21)年にこの場所に「広島市戦災死没者供養塔」され、それから
被災直後に他の複数の場所で焼かれことで散在していた遺骨や、また復興の中で発見された身元の分からない遺骨を収集し、
ここに納めるようなりました。
老朽化に伴い1955年に、旧供養塔の50m北寄りとなる現在地に建て替えられました。
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原爆の子の像
2歳の時に被爆し12歳で死亡した佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、
世界に平和を呼びかける為に建立されました。
佐々木禎子さんは2歳の時に爆心地から1.7kmの自宅で、黒い雨により被爆しました。
小学校6年生までは元気に成長し、その年(1954年)の8月の検査では異常はなかったとされています。
しかし、同年11月頃から異常が見られ始め、1955年2月には白血病と判明、
余命は長くて1年と診断されました。
1955年8月に名古屋の高校生からお見舞いとして届いた折り鶴がきっかけで、
禎子さんや他の入院患者も折り鶴を折り始めます。
千羽鶴を折れば元気になると信じて降り続け、千羽以上の鶴を折りますが、
同年10月に白血病で亡くなりました。
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▲ 原爆の子の像と捧げられた折り鶴
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動員学徒慰霊塔
原爆ドーム のすぐ南側、元安川沿いの歩道から少し低い位置にあります。
高さ12m、5層の有田焼の陶板仕上げの塔で、塔の下部には平和の女神像が祈りを捧げている様に見えます。
学徒動員とは、戦時中に国内での労働力が不足したため、中等学校以上の生徒や学生が軍需産業や食料生産に動員されたことです。
広島市内には被爆当日、動員された学徒(動員学徒)が8000人以上おり、その内の約6300人もが犠牲となりました。
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▲ 動員学徒慰霊塔
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レストハウス
観光案内所兼休憩所であるレストハウスは、1929年に大阪に本店のあった「大正屋呉服店」の新館の店舗として建てられたもので、
当時としては珍しい鉄筋コンクリートのモダンな建物でした。
1943年(昭和18年)、繊維統制令により呉服屋は閉鎖し、広島への原爆投下より、爆心地から170メートルの至近距離で被爆。
地下室を除いて全焼しましたが、建物としての基本的形態はとどめました。
1982年(昭和57年)からは、平和記念公園レストハウスとして観光案内所や休憩所として使用されていました。
改修工事のため、2018年(平成30年)2月1日から現在は休館中です。2020年(令和2年)7月にリニューアルオープン予定です。
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▲ レストハウス
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平和の池・平和の灯
この平和の池は、原爆死没者慰霊碑を囲み、慰霊碑が浮かび上がるように設計された池です。幅17m、長さは70mあります。
その中に建つ「平和の灯」は、台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、
水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめています。
この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けています。
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▲ 原爆死没者慰霊碑
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平和記念碑
草野心平の詩碑と共に設置された「平和記念碑」は、若い母親に抱かれた子どもが平和のラッパを吹いています。
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▲ 原爆死没者慰霊碑
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原爆死没者慰霊碑
世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して設立した石碑です。
原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという趣旨から、屋根の部分がはにわの家型をしています。
中央の石室(石棺)には、国内外を問わず、亡くなった原爆被爆者すべての氏名を記帳した名簿が納められています。
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▲ 原爆死没者慰霊碑
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国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
平和記念公園内にある「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」は、
1945年8月6日、人類で初めて投下された核兵器・原子爆弾によって命を失われた方々を追悼し、
平和について考える場所です。
原爆死没者を静かに追悼するため、地下2階建てという構造になっています。
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▲ 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
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広島平和記念資料館
1945年8月6日に人類史上最初に投下された核兵器・原子爆弾の惨状を後世に伝え、平和について考えるための施設です。
1955年開館の本館(国指定重要文化財)と1994年開館の東館からなり、原爆投下までの歴史、原子爆弾について、原爆による被害、現代の核保有の現状などを展示しています。
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▲ 広島平和記念資料館
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