雲仙地獄 のある雲仙温泉街より車で数分走ったところにある
カトリック雲仙教会は、赤煉瓦造りの教会堂です。
福者アントニオ石田とその他の殉教者に献げられた教会で、
教皇ヨハネ・パウロ二世の来崎と長崎大司教ヨゼフ里脇枢機卿司教祝聖銀祝を記念して、
1981年(昭和56年)6月15日里脇枢機卿によって祝別・献堂されました。
江戸幕府が出した禁教令によって、1627年から1632年の間、雲仙地獄ではキリシタンたちへの拷問が行われ、
三十余人の信者たちが殉教しました。
この教会の建つ札の原は、殉教したキリシタンたちが護送された道なのだそうです。
アントニオ石田神父と他4人の殉教者は、雲仙地獄で拷問を受け、その後長崎に護送され、
1632年9月3日、長崎で火刑により殉教しました。
アントニオ石田を含む205名の殉教者は、
1867年7月7日にローマで礼福され、205福者に列せられました。