八代城跡 

 ▲ 八代城跡
八代城跡
「八代城跡」は熊本県八代市にあった城で、現在は水堀に囲まれた本丸の石垣が残る歴史公園として整備されています。 江戸時代初期に球磨川河口の松江に幕府の許可を得て建築されたことから、松江城とも呼ばれました。

元和元年(1615年)に一国一城令が出された後も、肥後熊本藩では特別に 熊本城 と麦島城(八代市古城町)の一国二城体制が認められていました。
元和5年(1619年)の大地震で麦島城が崩壊してしまい、熊本藩主の加藤忠弘は幕府の許可を得て、城代の加藤正方に命じて 徳渕の津の北側に城を築くこととし、同8年(1622年)に竣工しました。 これが現在の八代城で、明治維新まで肥後国の一国二城体制が続きました。


 ▲ 八代城跡

 ▲ 八代城跡
寛永9年(1632年)、豊前小倉藩主の細川忠利が熊本藩主となり、 忠利の父・細川忠興(ただおき)(=三斎(さんけい)が八代城に入城しました。 忠興は八代城の整備を行い、北の丸の隠居所には名木臥龍梅を植え、茶庭を設けました。

八代城本丸の北西隅には外観4層、地下1階の大天守が作られ、渡り廊下を通して 2層2階の小天守とつながっていました。 大天守は、寛文12年(1672年)、落雷によって焼失しました。 現在、相撲場となっている場所の近くには、かつて能舞台がありました。 本丸内には枯山水の庭園が設けられており、現在もその一部を見ることができます。 また、発掘調査で見つかった八代城時代の井戸が保存されています。

忠興が没した後1646年には、藩主細川光尚は細川家の筆頭家老でかつ将軍直臣の身分を持つ松井興長(おきなが)に 八代城を預けました。 これ以降、代々松井氏が八代城を治め、八代の発展に尽くしました。

明治3年(1870年)に八代城が廃城となり、同16年(1883年)には八代町民の願いが叶い、南北朝時代の後醍醐天皇の皇子、 懐良親王の顕彰のために本丸内に八代宮が創建されました。

現在、八代城跡は八代市の中心的な歴史公園で、また桜の名所として親しまれています。

 ▲ 八代宮
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八代宮
「八代宮」は「八代城跡」に鎮座する神社です。 後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王を主祭神とし、 懐良親王没後に征西将軍職を継いだ良成親王を配祀しています。
地元では「将軍さん」の愛称で呼ばれています。

八代宮の境内には、戦没者の英霊を祀る「霊社」があります。 八代市郡の戦没者3866柱と、職域に殉ぜられた英霊48柱とを合わせて3914柱を奉斎しています。

 ▲ 八代宮

 ▲ 霊社

 ▲ 霊社

 ▲ 手水舎



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 ▲ 石垣の上は歩ける様になっている


 ▲ 舞台脇の櫓跡

 ▲ 八代城跡宝形櫓跡

 ▲ 八代城跡磨櫓跡


 ▲ 高麗門跡・欄干橋跡を石垣の上から見る

 ▲ 高麗門跡・欄干橋跡

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八代城跡 DATA
住所熊本県八代市松江城町7-34
電話番号0965-35-2448
公式HP
備考
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last visited : 2017/09/09