知覧の特攻隊員を語る上で外せない存在なのが、
多くの特攻隊員の面倒を見て“特攻の母”と呼ばれた鳥濱トメさんです。
知覧町で富屋食堂を営んでいたトメさんは、
昭和17(1942)年、富屋食堂が旧日本陸軍の指定食堂になると、知覧飛行場の飛行隊員たちが、
そして後に特攻隊として飛び立つ隊員たちが訪れる様になり、
まだ10代から20代という若者たちから母の様に慕われました。
トメさんは特攻に飛び立つ若者たちを見送り、
彼らから預かった手紙を投函したり、
また自ら特攻隊員の家族に手紙書いて送ったりされました。
戦後は、ご遺族や生き残られた方々が知覧を訪れたとき、
泊るところがないと困るだろうという気持ちから、富屋旅館を始められました。
現在の「富屋食堂」は、鳥濱トメさんと出撃間近の特攻隊員たちとのふれあいをテーマにした資料館で、
“食堂”ではありません。
トメさん目線での展示となっていますので、
知覧特攻平和会館 とはまた一味違った展示となっています。
有名な「ホタル」になって帰って来た特攻隊員の話や、
アリランを歌った朝鮮人の特攻隊員の話など、
こちらの方がより涙腺を刺激する展示になっているように思えます。