知覧の戦争遺跡 〜広域編〜 
ホタル館 富屋食堂
知覧の特攻隊員を語る上で外せない存在なのが、 多くの特攻隊員の面倒を見て“特攻の母”と呼ばれた鳥濱トメさんです。
知覧町で富屋食堂を営んでいたトメさんは、 昭和17(1942)年、富屋食堂が旧日本陸軍の指定食堂になると、知覧飛行場の飛行隊員たちが、 そして後に特攻隊として飛び立つ隊員たちが訪れる様になり、 まだ10代から20代という若者たちから母の様に慕われました。
トメさんは特攻に飛び立つ若者たちを見送り、 彼らから預かった手紙を投函したり、 また自ら特攻隊員の家族に手紙書いて送ったりされました。
戦後は、ご遺族や生き残られた方々が知覧を訪れたとき、 泊るところがないと困るだろうという気持ちから、富屋旅館を始められました。

現在の「富屋食堂」は、鳥濱トメさんと出撃間近の特攻隊員たちとのふれあいをテーマにした資料館で、 “食堂”ではありません。
トメさん目線での展示となっていますので、 知覧特攻平和会館 とはまた一味違った展示となっています。
有名な「ホタル」になって帰って来た特攻隊員の話や、 アリランを歌った朝鮮人の特攻隊員の話など、 こちらの方がより涙腺を刺激する展示になっているように思えます。

 ▲ 現在の富屋食堂

 ▲ 知覧特攻平和会館
トメさんのお人柄が伺えるお話や、トメさんだからこそ、ここに展示されている遺品などなど、 小さな資料館ですが、感じ取ることは膨大です。

また、現在も営業を続けておられる「富屋旅館」には、 特攻隊員の方々が訪れていた食堂の離れや、トメさんが自宅で特攻隊員さんたちを供養していた観音様などがあります。
   
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旧陸軍特攻基地「三角兵舎」跡
知覧飛行場からおよそ1km離れた林の中に、特攻隊員や援護部隊員が宿泊した兵舎や炊事場、風呂場などがありました。
兵舎は半地下式木造の建物で、三角の屋根だけが地表に出ており、 敵機に見つからない様に屋根には木の枝などで擬装されていました。
風通しも悪く、雨露をしのぐだけの簡易な三角兵舎で、特攻隊員たちは出撃命令を待ち、薄暗い裸電球の下で 遺書や手紙を書きました。

三角兵舎には知覧高等女学校の生徒が動員され、掃除、洗濯、裁縫、食事の配膳など、飛行兵の身の回りの世話をしたり、 手作りのマスコットをお守りとして渡し、出撃の際には見送りにも行きました。

現在は三角兵舎跡には石碑と説明パネルが立っているだけですが、 知覧特攻平和会館 横に復元された三角兵舎が立っています。

復元された三角兵舎はコチラ

 ▲ 三角兵舎跡



 ▲ 現在はパネルと東屋、石碑だけがある
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知覧飛行場の掩体壕
掩体壕とは、飛行機などを敵機から隠すために格納する壕の事です。 全国的にはかまぼこ型をしたコンクリートの有蓋掩体壕が多いのですが、 知覧の飛行場跡にある掩体壕は、馬蹄型に土塁を築いた無蓋掩体壕です。 爆弾が近くに落ちた場合でもその破片及び爆風から飛行機を守る為に造られました。
昭和20(1945)年以降、日本各地で空襲を受ける様になり、 特に南九州の飛行場は標的にされました。 そのため、特攻隊が知覧に進出すると機体は掩体壕に格納され、米軍機の目を欺くために、 松や杉、雑木の枝を被せてカムフラージュされました。


知覧飛行場の掩体壕

 ▲ 掩体壕
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ホタル館富屋食堂 DATA
住所鹿児島県南九州市知覧町郡103-1
電話番号0993-58-7566
営業時間9:00〜17:00
入館料大人:400円、小・中学生:300円
休館日年中無休
公式HPhttp://www.tomiyaryokan-chiran.jp/index.html
備考
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last visited : 2017/06/16