大分県中津市本耶馬渓町にあり、山国川に面してそそり立つ「
競秀峰(きょうしゅうほう)」の裾にある洞門(隧道、トンネル)で、
大分県指定史跡です。
全長は約342m。
禅海(ぜんかい)和尚が 『
羅漢寺』 を参詣した時、
川沿いの鎖のみの断崖絶壁から人馬がしばしば命を落とすことを哀れみ、
トンネルを作る事を思いつきました。
1730年(享保15年)頃、豊前国中津藩主の許可を得て掘削を始め、その後村民や九州諸藩の領主の援助を得て30年余りの歳月をかけ、
1763年(宝暦13年)に洞門を完成させました。
「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」と言われており、
禅海和尚が使用したというノミや槌は、羅漢寺にある 「
禅海堂」 に展示されています。
開通後、通行人から通行料を徴収したと伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われています。
現在「青の洞門」と呼ばれるようになったのは、
この洞門の逸話を元にして書かれた菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』によるものです。
耶馬渓橋前の信号から山国川沿いに青の洞門へと入ると、
洞門の手前に小さな土産物屋と車が数台停められるスペースがあり、目の前には車一台通れる程の洞門がぽっかりと穴を開けています。
余り歩きたくない方は、こちらに車を停めると良いでしょう。
反対側には大型駐車場がありますが、この洞門入口まで往復すると結構歩きます。
禅海和尚が掘った素掘りのトンネル跡は、写真に見える「青の洞門」の碑が建っている場所辺りから、
もうひとつ小さな人道のトンネルがあり、そこが現在も残っている手掘り洞門の一部です。