萩反射炉は、萩藩が海防強化の一環として、鉄製大砲を鋳造(ちゅうぞう:金属を熱でとかし鋳型(いがた)に流し込んで器物を作ること)
するために、安政3年(1856年)に試作的に築造した金属溶解炉。
しかし技術的にも費用的にも難しいことから、萩藩は本式の反射炉の築造は断念した。
煙突部分の中央から上部5mは2本にわかれ、基底部は長方形で、頂上に向かって9mまでは安山岩と赤土を用いているが、
先端の2.5mは大きな煉瓦を使用している。
全体の高さは10.5mで、漆喰が石積みの全体に塗ってあったものと考えられる。丘陵の東側は2段に石垣を築き、全体が補強されている。
近世の反射炉でわが国に現存しているのは、静岡県の韮山に築造されたものとここの2基だけである。
わが国の産業史上、貴重な遺跡であるとともに、これによって萩藩の幕末における軍備充実の熱意がうかがわれる。
[現地案内板より転記]
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